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土御門殿 (村上源氏) : ウィキペディア日本語版 | 土御門殿 (村上源氏)[つちみかどどの] 土御門殿(つちみかどどの)は、平安京左京北辺四坊六町にあった村上源氏の本邸。 == 概要 == 北は正親町小路・南は土御門大路・西は万里小路・東は富小路に囲まれた一方40丈(約121m)の敷地を有していた。 本来は村上天皇の皇子・具平親王の邸宅であったが、後を継いだ資定王が臣籍降下して源師房と名乗ったことから、師房を祖とする村上源氏の邸宅となった。 当初は師房の娘・源妧子(権大納言藤原通房未亡人)に譲られたが、後に甥の源雅実(師房の孫)に引き継がれ、代々村上源氏の当主に引き継がれた。雅実の曾孫である源通親が「土御門」を号したのはこの邸宅に由来する。また、同家に伝わる有職故実を「土御門流」と称するのも同様である。なお、師房の孫で雅実の従弟にあたる源師時の邸宅(後の土御門内裏)も土御門殿(土御門第)と称されたが、本項の土御門殿とは違う場所(左京一条三坊九町)にあった〔朧谷寿「土御門第 (3)」(『平安時代史事典』(角川書店、1994年) ISBN 978-4-04-031700-7)〕。 室町時代の康正元年(1455年)、大徳寺の塔頭である如意庵に寄進された。
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